この記事を投稿した2021年3月11日のちょうど10年前、東日本大震災が発生しました
死者15,900人、行方不明者2525人 (2021年3月9日警視庁まとめ) の甚大な被害をもたらした大災害は未だに私たちの記憶に深く刻まれています
震災当時、まだ高校生だった私は街が津波に飲み込まれていく衝撃的な映像をテレビで見ながら、これが現実だと上手く認識することが出来ずボーっと映像を見ていました…
そんな大震災から節目となる10年目、偶然にも私は東北の沿岸を徒歩で旅していました
実際に目で見て体験することで震災がこの日本で起きたことであることを理解し、多少なりとも自分の現実のこととして理解できたと感じています
今回の連載はそんな私が実際に体験した経験を書き綴ったものです
皆さんこんにちは、すけです
今回の記事は東日本大震災についてのお話について自分なりに考えながらまとめたものになります
この記事を書いたきっかけ
私が東北にいた期間は2020/11/13~2021/2/3の約三ヶ月間
東北に訪れたのが偶然にも震災から10年の節目となる時期に重なっていたこと、そして歩いて日本一周をしていることもあり自分の足で被災地を歩いて何か感じてみようと思いました
東北を歩く前は復興はもう終わって震災の爪痕とかはあまりないだろうから、資料館とかに行って当時の様子を学習しようかなーくらいの軽い気持ちで行った私
しかし、歩けば歩くほど大震災の残した傷は今でも被災地に多く残っており、自分の思っている以上に震災のダメージは大きいものであったことを実感しました
東北の海岸線沿いを歩いていると、のどかな街中に突然高さ10mを超える巨大な堤防が出現します
@岩手県 宮古市
また、ある場所では建物が津波に襲われて、見渡す限り更地になっている場所もあります
@宮城県 亘理町
福島では街中を放射能汚染土を積んだトラックが頻繫にいきかい
@福島県 南相馬市
帰宅困難区域近くの家屋はシャッターがグニャっと曲がったまま
@福島県 双葉町
津波に流れそのまま放置されている墓石もありました
@福島県 浪江町
テレビで何となく被災地の情報を知っているだけの自分にとって、これらの光景は初めて見るもので、衝撃的で…あまりにも自分が知らないことが多すぎる……そのように思いました
テレビ報道で被災地のことを分かった気になっていた自分でしたが、それはほんの一部分であったことを実感したのです
震災前とは様変わりしてしまった街の様子に現地の人は何を思うのだろうか…と考えずにはいられませんでした
このように、東北を渡り歩くことで現地に行かないと分からないことがあることを理解しました
テレビの報道を見ているだけの人は以前の私と同じように考えている人もきっと多いはず…
自分が見てきた東北を皆さんにも知ってもらうことで震災の今を知ってもらうこと。それがこの記事を書いたきっかけとなっています